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◆ Vol.35 『にっかつロマンポルノ』 こんなことを書くと、また「リコー倫理審査委員会」略して「リコ倫」に引っかかってしまうかもしれない(あ、因みにそんなものはありません)。でも敢えて書く。理由は結末でお知らせします。 前から触れているが、私は学生時代にっかつロマンポルノを貪るように観ていた。どうしてそうなったか、きっかけはよく覚えていないが、とにかく気が付いたら石井隆という劇画家が原作を書いた“天使のはらわた・赤い教室”という映画が私の邦画ベストワンになっていた。言うまでもなくにっかつの作品。名作である。それからだったと思う。新宿のにっかつ館通いが始まった。 それは当時、コマ劇場の真ん前にあった。一階で切符を買って階段を昇った左側だった。右側はごく普通の喫茶店。だから外から見ると喫茶店に入るようなフリができたので、抵抗が無かった。上だか横だかにディスコがあった。午後5時過ぎると、どっすんばったん客全員でステップを踏むからその小さい小屋も揺れていた。まばらな客たちは、慣れているので平然とスクリーンいっぱいに映し出された女優さんの裸を静かに観ていたわけである。 ここで私は後に財産になるような、色々な人を知ることとなった。真っ先に上げたいのは神波史男先生というシナリオライター。“狂った果実”という作品を観て、初めて暗い中でエンドロール(最後にキャスト、スタッフが流れるアレ)の“脚本”という文字を探し名前をメモった人である。それくらい当時の私にとって、作品としてではなく、脚本が秀逸だと感動させてくれた人だ(先生とは数年前に新宿の飲み屋で会った。会ったというよりそこにいると聞いて追っかけてったのである。この夜のことは私は生涯忘れないが先生は次の日忘れたであろう・・・)。 当時私は思った。そうか・・・男女の絡みがあるからそれに引っ張られて内容も濃くなるんだ、と。つまりは、ポルノってくらいだから、セックスシーンはなくてはならない。でも唐突にそこだけやってもおもしろくもなんともない。男と女が深淵に至る過程をちゃんと書き、尚且つ主役の女をいい女に書き、いい女が身体をあずけるんだから、男もちゃんといい男に書いてやんないと直接的な男の性欲に結びつかないのであろうと解釈したわけである。 しかもそれはもの凄くタイトなスケジュール、低予算の中で繰り広げられる訳だから、書き手はあらゆる規制を強いられていたに違いない。それを受けて、また監督の見事なこと。女優さんを綺麗に撮る、というのは勿論だが哀しく切ない女の情感を、詩的表現ともいえる手腕で描き抜いている。 私は女であり、後にシナリオを書くことになる程の文学少女だったから、台詞のひとつひとつ、カットの割り方、光の当て方・・・なんてマニアックなことに感心してみていた。
しかし、である。他のお客さんは――正体不明な中年男性が多かったが――ひとつベッドシーンが終わる度にガタガタと席を立って上映の途中で外に出て行く。それも半分くらいいなくなっちゃうのである。 そして暫くするとぱらぱらと戻って来て、画面を観る。最初の頃、この現象は一体なんだろうと思っていたのだが、回を重ねるうちにわかって来た。そうか、皆さん男としての“個人的行為”の為トイレに立っているのだ・・・。 全く、結果的にはキネマ旬報誌のベストテンにランクインする程の名画なんだぞ!と若い頃の私は多いに憤慨したもんである。 でも、どうなんだろう。もしかするとにっかつロマンポルノは、客にそうさせることが目的で撮られていたのではないか。そこに邁進していくうちに必然的に名作になったのでは?私ごとき文学少女ばかりが客だったら、最初からそんな作り方をしていなかったはずだし、やったところでヨーロッパのB級意味不明映画みたいになってたに違いない(それこそ作り手のマスターベーションだ)。
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